訃 報2002年9月11日、YahooUSAのトップページは真っ黒に塗られました。前年の同月同日死んだ多くの人たちへの弔意を精一杯あらわすためです。
言葉は、ランボー、ディランたち詩人たちによって研ぎ澄まされ、ソシュールによって科学的な研究指針も提示されました。
しかし、あふれる思いを表すとき言葉はどれだけ重要性をもてるのでしょうか?
私にとって歴史とは、普段は、闇の中を走る都電が、時たま輝く花電車ですし、薄暗い裸電球の元、警官に追われて傷ついき逃げ惑う学生を介抱する商店のオヤジです。
上野が春、そめいよしのに覆われ、夏の不忍池が蓮の花に覆われるとしても、私にとっては不安な目で見つめる戦争孤児の溜まり場のイメージしかないと同様に、事実ではなく真実は、言葉の意味ではなくそのメタファーでしか表せないものです。
ロバート・キャパは、ハンガリーに生まれ、人々の争いを通じて多くの傑作(シェ・ドゥーブル)を残しました。初期のライカで撮った、あの咆哮するトロツキー。フランコ派にうたれる共和派の兵士。そして、Dディのちょっとピンボケ。
でも、最後のニコンに残されていた、インドシナを歩く兵士のあの穏やかな風景。
はっきり言ってマスコミに書かれたことなど、意味はありません。
この方の死に際して、私が一番心を打たれたのは、あまりにもシンプルな、HTMLファイルでした。
合掌。